音と食と生。

和歌山で歌ってる人。音楽と食べる事が好き。Twitter→@AKfrom4343 インスタ→ https://www.instagram.com/akfrom4343

クラムボンが好きな私の「センス」の話。

クラムボンが大好きなんです。

クラムボンを聴き始めたのはここ1、2年くらい。そもそも音楽を沢山聴けるようになったのが、大学に入って自分でお金を稼ぐことが出来るようになってからでした。クラムボンを聴く前の印象って「なんか名前知ってるし、いい曲なんやろうなー」くらいだったんです。

私だけかもしれないんですけど、良いって分かってるものってあんまり聴こうとしなくて。最近名前を耳にするようになった若手インディーズバンドとかなら「これから売れるかどうか聴いてやるぜ!」みたいな気持ちがあるんですけど、既に良いって分かってるものって何故か後回しになるんですよ。

例えばスピッツとか。もう聴く前から絶対いい曲ばっかりって分かるじゃないですか。「既に良いと言われてるものを、良いと受け入れるしかない。」という事が面白くないなって思ってました。(過去形)でも、作曲するにあたっては、先入観とか好き嫌いとか排除しないといけないので、「とりあえず名前知ってるものは1回は聴く!」というmyルールを作り、クラムボンを聴き始めたんです。するとね、「クラムボンめっちゃ最高...センスしかない...今までの自分殴りたい...。」ってくらいクラムボンにハマりました。笑

それからは「良いものを良いと受け入れる」という受動的な気持ちから、「良いものがなぜ良いと言われているかを探す」という能動的な気持ちで音楽を聴くように変わりました。

私はクラムボンに対して「センスしかない」って思った訳ですけど、この「センス」って何なのでしょう?クラムボンを聴いてると、ミトさんが物凄く色んな音楽を聴いていることがひしひしと感じられるんです。音楽を生業にしている人って、ジャンル問わず大量の音楽を聴き(所謂ヘビーリスナー)、常に新しいことを生み出そうとしている人なんですよね。そんな当たり前のことを最近気づけなかったという...情けない。

色んなジャンルが垣間見える音楽が、素敵だと思った。センスがあると思った。自分から自然と生み出される音楽は、自分の好きな物が詰まっているから...色んなジャンルが垣間見える曲の作曲者は、それがすべて良いと思えている...!?

 

私が言うセンスってつまり「良いものを良いと思える心」なのかなと。

例えば、10人中9人が良いと思う曲。10人中1人が良いと思う曲。比率的にいえば9人が良いと思う曲の方がセンスがあり、9人にセンスがあると言えるでしょう。しかし、どちらも良いと思っている人がいるのであれば、どっちの曲の良い所を見つけられる人間が1番センスがあると私は思うんですね。「じゃあ悪いものは無いの?」と聞かれると、良い悪いの基準が明確に存在する訳では無いので難しいんですけど。

自分の作ったものを良いと思っても、リスナーが良いと思っていなければ、それは駄曲だと私は思っています。作曲者とリスナーの感性が合致することで名曲と呼ばれるようになるわけです。ただ、それがありがちであると埋もれてしまうし、アイデンティティが確立されてることが必要だという...。「良いもの良いと思う心」は作曲において、1番根っこの部分なのでしょうか。

「良いものを良いと思う」ことってなかなか難しいんです。どの音楽ジャンルでもそれぞれに良いと思っている人はいるけれど、どうしても自分の好みばかりに偏っていくんですよね。私は未だにハードロック、メタル他が受け入れられません。高校の時から今まで、何度slipknotを聴いて途中で諦めたことか(笑)いつかslipknotの良さにも気付ける日が来るのでしょうか。

slipknotの良さは分からなくても、今は昔に比べて確実に心の幅が広がっているというか、自分の感性が開拓されています。好きな曲が増えていくって本当に楽しいですね。人生掛けても聞き飽きない自信があるよ。

 

なんだか長くなりましたが、

クラムボンが大好き!

センスのある音楽を作りたい!

いっぱい色んな音楽聴くぞ!

って感じで毎日過ごしています。