音と食と生。

和歌山で歌ってる人。音楽と食べる事が好き。Twitter→@AKfrom4343 インスタ→ https://www.instagram.com/akfrom4343

「いっぴき」/高橋久美子

大学の期末試験が終わった。今日は特別な日にしようと思っていた。前日は遠回りしてコンビニまで歩き、お酒を買ってぼそぼそ歌いながら帰った。深夜3時まで好きなバンドのDVDを見た。お昼前に起きて友達を迎えに行き、ちょっとお洒落なお店でお昼ご飯を食べた。友達の誕生日を祝った。下手なボーリングをした。カフェでくだらない話を数時間した。友達と別れ、1人で銭湯に行き、クーラーの効いた涼しい部屋で

「いっぴき」を読んだ。

チャットモンチーが大好きだ。高橋久美子さんが作る歌詞を愛している。たった数分で1つの小説を読んでいるかのような気分になる。音が聴こえているだけなのに、景色が見える。何でもないように見えていた世界が、疑問で満ち溢れる。ちょっとした言葉のチョイスが、私の心の気持ちいいツボを押す。そんな歌詞を書く人の、多量の文字は一体どんな形になるのだろうか。読みたい衝動に駆られながら、本を部屋の片隅に隠し勉強に励んだ。そしてやっとこの本を開いた。

この本は一言でいうと、「青春」が詰まっていた。中高大の学生生活、個展までの道のり、全てが熱くて眩しかった。そして、自分と重なる事が余りにも多かった。音楽が好きな事、本が好きな事、田舎に住んでいる事、朝が弱い事、旬のものが好きな事、思い立ったらすぐ行動してしまう事。

私が詩を書き始めたのは、中三の時だった。ギターを始めると同時に詩を書き始めた。久美子さんと似たような時期だと知り、嬉しくなった。(ちなみにピアノを始めた時期も似ている。)詩を書き始めたのは、バンドというものを好きになった時からの夢「自分の歌を作る」というのを叶える為であった。そして何よりも、自分の好きな作家の目から見える世界は、きっと私の何倍も色鮮やかで不思議な形をしているのだろうと思うと羨ましくて仕方がなかった。その人の見えているような景色が見える様になるのではないかと思うと、じっとしてはいられなかった。高校になると図書館で勉強する傍ら、休憩ついでに詩集を読み漁っていた。今は大学生で楽しい日々を送っている。自分の歌だって作れるようになった。本を読みながら、そんな私の人生を思い出した。

この日は人生で初めて音楽を聴かないで帰った。気に入った曲を飽きるまでループ再生するそれと同じように、車を運転しながら久美子さんの語る人生と、上で述べたような私の人生をずっと考えていた。詩を書き始めた頃から見ると、今の自分はどう見えるだろうか?

最近、このブログを始めた。TwitterInstagramも利用している。発信する場所はあるのに、下書きだけがたまる。何かを批判している訳でもない。ただ私はこう思うと書いているだけなのに誰にも見せられないのだ。社会不適合者という言葉があるが、私は人間不適合者なのではないかと思う。誰かを傷つける訳でもないが、言ってはいけない事が頭をよぎる。中学生の頃に夢に描いた色鮮やかな世界とは全く違うものが見えるようになった。鬱憤だけを書くようになった。あんなに好きだった歌が、誤魔化す手段に成り下がった。他人に歌詞が良いと言われる事が嬉しい反面、とても怖かった。こんな事しか書けないなら、残さずに歌わずに全部忘れてしまえばいい、それと共に私自身も消えればいいと思っていた。幸せになると歌えないという事を歌うようになった自分が、それをやめられない自分が...1番嫌だった。

 

しかし、この本を閉じると「そんな自分もちょっと素敵なんかな。」と思えた。

 

今日は本当に特別な日になった。